あーすブログ

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【建物から学ぶ神道】社殿の種類と飾りについて簡単解説

相伽tt
こんにちは!

あーすブログの筆者で、神社入門ガイドのyoshikiです🌏

 

神社の建物には、入口に立てられている鳥居と同じように、色んな形のものが存在していますよね。

鳥居の形式を知れば、その神社にどんな神様が居て、どんな歴史があるかを推測できるように

社殿の建築様式を理解すれば、神社の歴史についてをもっと深く学べるかもしれません。

 

ということで今回は、社殿の種類と飾りについて、わかりやすく解説したいと思います。

神社の建物にちょっとでも興味ある!と感じた方は、ぜひ最後まで読んでみて下さいね😌

 

 

社殿の種類について 

社殿の種類

神社の建物には、大きく分けて二つの様式が存在しています。

それが、稲や小麦などを蓄えた高倉(たかくら)式倉庫が発展したといわれる『神明造(しんめいづくり)』

そして、古代の高倉式住居の形から発展したといわれる『大社造(たいしゃづくり)』です。

 

神明造も大社造も詳しい記録が残されておらず、一体いつ頃から建てられたのか?はわかっていません。

しかし、どちらの建物も弥生時代の遺跡に配置が似ているため、弥生時代の倉庫や住居をモデルにしているのではないかという説が指摘されています。

 

卑弥呼(ひみこ)が中国の三国時代に、魏の皇帝から"親魏倭王(しんぎわおう)"という称号が贈られていたように👸

少なくとも古墳時代には、海外との交流があったわけですから、他の宗教の建造物に影響を受けていた可能性も考えられますね。

 

いずれにしても、神明造と大社造が最古の神社建築様式であることは間違えないでしょう。

ここからは、社殿の代表的な形式である"神明造と大社造の違い"について、わかりやすく解説していきますよ。

 

神明造の特徴

神名造り

伊勢神宮に代表される神明造は、高倉式倉庫をモデルとし、稲や小麦の代わりに神宝を納める目的があったと考えられています。

そのため、奥行きはほとんどなく、横幅が広い長方形の形式が特徴☝️

また、屋根の構造をみても、神明造と大社造では大きな違いがあります。

 

社殿の本を開いて、上からかぶせたような屋根のことを"切妻造(きりつまづくり)"

屋根が三角になっている部分を"妻(つま)"

平らになっている部分をそのまま"平(ひら)"と呼びますが、神明造は平側に入口があるのが特徴。

ですから、神明造の入口を"平入(ひらいり)"と表現します。

 

ちなみに伊勢神宮の本殿にみられる、"カラブキ屋根"の"掘立柱(地面に穴を掘って柱を立てる)"は唯一神明造』といい

他には類をみない伊勢神宮特有の様式です✨

 

大社造の特徴

大社造り

出雲(いずも)大社に代表される大社造は、高倉式住居をモデルとし、祭祀の際に建てていた宮殿が社殿へ発展したものと考えられます。

神明造と違い、正方形のような形をしているのも特徴☝️

元々、自然を神様として崇めていた神道にとって、社殿はなかったわけですから

大社造は、海外の建造物が深く関係しているのかもしれませんね。

 

平側に入口がある神明造に対し、大社造は屋根が三角の妻側に入口を持っており

このような形式を"妻入(つまいり)"と表現します。

 

日本神話の伝承によれば、平安時代出雲大社の社殿は、奈良の大仏が安置される東大寺大仏殿より大きかったそう😳

一番最初の社殿の高さは、なんと92mにも及んだらしいです(笑)

92mといえば、大体20階建ての高層ビルと同じ高さになるわけですが、まさに天にも届くような立派な建物だったんでしょうね。

 

神明造が派生した神社建築

流れ造

神明造から派生した"流造(ながれづくり)"は、京都の上賀茂(かみがも)・下鴨(しもがも)神社に代表される建築様式。

神明造と同じく平入の切妻造ですが、正面側の屋根が長く伸びて向拝となっているのが特徴です🙏

全国で最も多い神社本殿の形式が、この流造だそう。

 

流造の後ろに、もう一棟の建物を連結させたものは、京都の石清水(いわしみず)八幡宮にみられるような"八幡造(はちまんづくり)"という形式です。

前後に二棟並ぶ形になりますが、どちらも本殿というのがポイント☝️

権現造

八幡造から派生した形で、本殿と拝殿を一体化させたものは"権現造(ごんげんづくり)"という建築様式。

権現が仏や菩薩の仮の姿を現しているように、寺院や海外の仏教建築の影響を大きく受けているものと思われます☸️

栃木県の日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)に代表される、非常に華やかな建物ですね。

日吉造

流造のように正面の庇(ひさし)だけでなく、両側にも庇が大きく伸びている形式"日吉造(ひえづくり)"といいます。

日吉造は、滋賀県の日吉(ひよし)大社にしか存在しません🐒

日吉大社の境内にも、三棟しか存在しない非常に特殊な建築様式です。

 

大社造が派生した神社建築

春日造

大社造から派生したもので、春日大社に代表される建築様式を"春日造(かすがづくり)"と呼びます。

大社造と同様に妻入の切妻造ですが、正面側の屋根が長く伸びて向拝となっているのが特徴🙏

近畿圏では特に多くみられる形式のようです。

住吉造

大社造とほぼ変わりませんが、本殿内部が二室に分かれていて、入口の階段に屋根がない形式"住吉造(すみよしづくり)"といいます。

文字通り、大阪の住吉大社に代表される建築様式✨

皇位継承の重要なお祭り"大嘗祭(だいじょうさい)"の建造物がモデルではないか?という指摘もあります。

ちなみに奈良時代以前に造られていた形式は、神明造・大社造・住吉造の三種類だけだそう😳

 

社殿に付いてる飾りって何?

内削ぎ

神社の建築様式にしかみられないような、屋根の上に付いてる独特な飾り⚜️

一体何なのか気になりますよね(笑)

屋根の両端でV字になっている二本の板木"千木(ちぎ)"

屋根の上に水平に置かれているもの"鰹木(かつおぎ)"といいます。

 

千木と鰹木は、どちらも古代の皇族や豪族の住居として用いられていたものが、神社の聖性を象徴する形で発展しました。

千木のには、先端が地面に対し水平に切った形の"内削(うちそ)ぎ"垂直に切った形の"外削(そとそ)ぎ"と表現します。

内削ぎは伊勢神宮内宮、外削ぎは伊勢神宮外宮で使われていることが、名前の由来だそうですよ。

外削ぎの千木

千木のはじまりは、家屋(かおく)を建てるために、結びとめた木材の先端をそのままにしていた名残り。

鰹木のはじまりは、カラブキ屋根が飛ばないように押さえるための木で、かつお節に似ていたことが名前の由来だとか(笑)

 

ちなみに、千木の切り方や鰹木の数の法則については、詳しいメカニズムがわかっていません。

一説では、千木が内削ぎで、鰹木が偶数の場合は女神👑

千木が外削ぎで、鰹木が奇数の場合は男神を祀っているといわれていますが...

実際には、該当しない神社の方が多いかもしれません(笑)

 

ただ、伊勢神宮の内宮にみられるような千木が内削ぎで鰹木が10本の社殿は、アマテラスと関係の深い神様を祀っている可能性が考えられます🌞

神社の伝承と掛け合わせてみると、もっと面白い発見があるかもしれません。

ご利益やキレイな風景を求めて神社参拝に行かれた際は、鳥居や社殿にも注目してみて下さいね 😌

【神社の不思議】なぜ鳥居には色んな形式が存在しているのか?

鳥居アイキャッチ

こんにちは!

あーすブログの筆者で、神社入門ガイドのyoshikiです🌏

 

神社参拝に行くと、入口には必ずと言ってよいほど、鳥居が立っていますよね。

それこそ、はじめて訪れる神社では、目印になって助かりますが(笑)

実際、鳥居は「ここには神社があるぞ!」という威厳(いげん)を保つ目的⛩

さらには、神様の世界と人間の世界を分け隔てる結界のような役割も果たしています。

 

つまり、鳥居をくぐることは、日常生活で知らず知らずに溜まった自身の罪やケガレを清浄し🚿

神様へ挨拶に行く前に、身だしなみを整える場所でもあるのです。

 

そんな神社にとって、重要な役割を持つ鳥居には、なぜか色んな形が存在していますよね?

今回は『なぜ鳥居には色んな形式が存在しているのか?』についてわかりやすく解説したいと思います。

鳥居の種類を知ることで、参拝する神社がどんな神様なのかを理解できて面白いので、よかったら最後までご覧くださいね😌

 

 

鳥居に色んな形式が存在する理由

色んな鳥居

鳥居の形式は、大きく二種類に分類することができます。

それが"神明(しんめい)系"の鳥居と"明神(みょうじん)系"の鳥居⛩

個性的な形をした鳥居も、神明系か明神系、どちらかの鳥居を基盤にして作られています。

 

神明系鳥居は、皇祖神"アマテラス"に関係する神社に多く見られる鳥居🌞

歴代天皇が祀られている神宮や天の神様(天津神)を祀った神社にも、神明系の鳥居が立っていることが多いです。

神明系鳥居は、インド仏教や儒教(じゅきょう)・アカ族の村の門など、海外に起源を求める説もありますが、はっきりしたことはわかっていません🤔

ただ、社殿が建てられる以前から存在しており、古代の信仰形態の一つということは間違いないでしょう。

 

明神系鳥居は、神明系よりも新しく建てられたもので、仏教建築の影響が大きく反映されていると考えられています。

元々、地域を守っていた氏神(国津神)菅原道真徳川家康のように神格化された偉人は、明神系の鳥居であることが多いですね🗡

さらに、平安時代以降に"神仏習合(神道と仏教の融合)"の影響を大きく受けていた神社も、明神系鳥居に変更されている可能性があります。

 

といった感じで、鳥居の代表的な形式は、神明鳥居と明神鳥居の二種類⛩

神明鳥居はアマテラス関係の神様が多く、明神鳥居は氏神や仏教の影響を大きく受けているものが大半ということでした。

ここからは、そんな神明鳥居と明神鳥居の構造について、わかりやすくお話していきます。

 

神明系鳥居の構造

神明鳥居

神明系鳥居の構造は、古代の信仰形態であったことから、すっごくシンプル✨

最上部を「笠木(かさぎ)」、その下部を「貫(ぬき)」と呼び、それぞれが一本ずつで成り立っています。

ほとんどの貫は、縦の「柱(はしら)」を突き出ないものが多いですね。

神明鳥居に関しては、笠木・貫・柱がすべて丸くなっているのも特徴といえるでしょう。

伊勢鳥居

ちなみに"伊勢神宮"の鳥居は『伊勢鳥居』と呼びますが、一見すると神明鳥居と変わらない構造に感じます。

しかし、よーく見ると「笠木」が五角形、「貫」は四角形で作られているのがおわかり頂けるでしょうか?

このように、神明系鳥居の中でも、独自の特徴を持つ鳥居が存在します😌

黒木鳥居

神明系鳥居の中でも、「笠木・貫・柱」を丸太材で構成した超シンプルな鳥居『黒木鳥居』と呼びます。

この黒木鳥居は、木の皮を剥がさず組み立てた原始的な構造で、日本最古の鳥居としても有名😳

現在では、京都の"皇大(こうだい)神社"と"野宮(ののみや)神社"の二社にしか存在しない、とても貴重な鳥居です。

 

明神系鳥居の構造

明神鳥居

明神系鳥居は、仏教建築の影響を大きく受けており、神明系の鳥居より複雑な構造をしているものが多いです。

最上部は「笠木」「島木(しまぎ)」二重構造になっていますね⚙️

「貫」も神明系鳥居と違い、「柱」を突き出ているのが特徴(中山鳥居など一部例外を除く)

また、真ん中には「額束(がくつか)」を取り付けられていることが多く、社名や神名が記されている場合もあります。

両部鳥居

明神鳥居とほとんど変わりませんが、「島木」の下に輪っかが付いているものを『台輪(だいわ)鳥居』

台輪鳥居の構造に「控柱(ひかえばしら)」と呼ばれる補助が付いているものを『両部(りょうぶ)鳥居』と呼びます。

控柱は、海や湖の波から鳥居を支える役割を担っていたと考えられ、両部鳥居がある神社は、本来水辺に面していたのかもしれません🌊

山王鳥居

"日吉(ひよし)大社"系列の神社に見られる、明神鳥居の上に山のような形の装飾が取り付けられたものを『山王(さんのう)鳥居』と呼びます。

その姿は、まるで人の手が合掌しているように見えることから『合掌鳥居』とも呼び、神仏の習合を意味しているそう🙏

日吉大社は、古くから"比叡山延暦寺(えんりゃくじ)"の守護神として信仰されており、その特色が鳥居にも表現されているのでしょう。

 

まとめ

まとめ

教祖や教義などが存在しない神社は、様々な文明の良い所をうまく取り入れながら、現在の信仰形態に至りました。

鳥居は、そんな神社の歴史や神様の物語を伝える存在でもあるのです📚

 

例えば、神明系の伊勢鳥居は、最高神アマテラスを祀る神社であることが容易に判断できますし☀️

黒木鳥居のある皇大神社は、アマテラスの八咫鏡(やたのかがみ)を祀っていた元伊勢神社。

野宮神社に関しては、伊勢神宮に仕える斎王(さいおう)が身を清める場所であったとされ、皇族と関係の深い神社だということが窺(うかが)えます。

 

明神系の台輪鳥居は、稲荷(いなり)系神社に良く見られる形式で、秦氏(はたうじ)など渡来人の信仰があったこと🏝

両部鳥居は別称で権現(ごんげん)鳥居と呼びますが、権現には仏や菩薩(ぼさつ)の仮の姿という意味があり、仏教の神様と習合していたことが考えられます。

山王鳥居も、山王権現と呼ばれていたように、山の神と延暦寺の菩薩が習合したものだと想定できますね⛰

 

新しい知識を学んだ後は、世界の見方が変わる。

なんてことも、あると思います😌

普段何気なく通っている鳥居を観察すれば、人生を変えるような面白い発見が見つかるかもしれません。

【神宮・大社・神社とは?】社号の違いをわかりやすく解説

社号アイキャッチ

こんにちは!

あーすブログの筆者で、神社入門ガイドのyoshikiです🌏

 

『◯◯神宮』や『◯◯大社』など、神社で名称が違うのって不思議じゃないですか?

神宮・大社・神社などの名称は、"社号"と呼び、元々は社格(神社の格式)によって決められていました。

つまり、神社にランキングを付けて、呼び方を変えていたわけですね🤔

 

太平洋戦争に敗北し、社格制度が廃止された現在では、神社の名称は自由に決めることができます。

※ただし、神社本庁配下の神社を除く

 

それでも古くから存在する神社は、ランキングごとに名称が決められていたわけですから

神社の社号を理解すると「どんな神様が祀られているのか?」をある程度把握できて、面白かったりします。

 

今回は、そんな社号の違いをわかりやすく解説したいと思います。

神宮・大社・神社など、名称の起源を知りたい方は、ぜひ最後までご覧下さい✨

 

 

『神宮』はどんな社号?

伊勢神宮

皇室の祖先神や国譲りで重要な役割を果たした神様のみに与えられた社号が『神宮(じんぐう)』です。

神宮という社号は元々、最高神を祀る"伊勢(いせ)神宮"固有の名称であったため、天皇の命令がなれれば『神宮』を名乗ることはできませんでした。

神宮はそれだけ特別な社号だったんですね😳

 

日本書記で『神宮』と記載されているのは伊勢神宮、石上(いそのかみ)神宮、出雲(いずも)大神宮(出雲大社)」のみ。

平安時代社格が定められた際は伊勢大神宮(内宮)、鹿島(かしま)神宮、香取(かとり)神宮」のみ『神宮』を名乗ることができました。

日吉東照宮

ちなみに『宮(みや・ぐう)』という社号も存在しますが、これは神宮とは若干異なりまして☝️

神宮と同じように皇族と関係の深い神様だけでなく、歴史上で重要な役割を果たした人物も祀られています。

徳川家康を祀った"東照宮(とうしょうぐう)"菅原道真を祀った"天満宮(てんまんぐう)"

応神天皇を祀った"八幡宮(はちまんぐう)"なんかが、有名ですよね。

 

『宮』は、すべてを治める建物という意味の"御屋(みや)"が語源となっている説が有力で、神宮や大社に次いで、重要視されていた社号のようです。

 

『大社』はどんな社号?

多賀大社

 『大社(たいしゃ・おおやしろ)』というのは元々、国造りの神様オオクニヌシを祀る"出雲大社"のみに与えられていた社号です。

日本神話でも多大な功績を残しているように、ヤマト朝廷にとって重要な豪族であったことから、特別視されていた神社なのでしょう。

 

他の神社が『大社』を名乗るようになったのは、社格制度が廃止された戦後のことでした。

現在では、朝廷から特別の奉幣(ほうへい)受けた"二十二社"という社格の神社、もしくは全国的に崇敬を集めていた神社などで『大社』が使われています。

 

二十二社には、奈良の"春日(かすが)大社"や大阪の"住吉(すみよし)大社"

全国的に崇敬を集めていた神社には、滋賀の"多賀(たが)大社"や福岡の"宗像(むなかた)大社"などが挙げられますね。

「◯◯国 一之宮」と謳(うた)われるような、地域を代表する神社は『大社』を名乗っていることが多いようです😌

 

『神社』はどんな社号?

吉田神社

皇室や氏族の祖神、自然や土地の神様、偉人や義士の御霊など、様々な神様を祀るのが『神社(じんじゃ・かむやしろ)』という社号⛩

日本各地に10万社以上ある中でも、最も一般的なのが、『神社』という社号になります。

 

町や村にある規模の小さいものには『社(やしろ)』という社号が付けられることも多いですね。

『社』の語源は、"屋代"であるという説が有力で、"屋"は建物を表し、"代"は苗を育てる場所である苗代(なえしろ)を表しているそう🌱

つまり、神社は「神の苗を育てる建物」ということになります。

 

元々、神社には社殿が存在していませんでした。

ご神木や磐座(いわくら)に神様を呼び寄せるための祭殿(さいでん)が、仏教伝来による影響を受け、今の形へと変化していったのです。

 

五穀豊穣(ごこくほうじょう)や自然の恵みに感謝を伝えるお祭りの様子が、『神社(神の屋代)』という社号に表現されているのでしょう🙏

 

神道を知るということは、えも言えれぬ美しさを知るということです。

古きをたずねて新しきを知る"温故知新(おんこちしん)"の精神は、意外と身近な場所から得られるのかもしれませんね。 

【夏越の大祓】半年に一回は罪やケガレをリセットしよう!

夏越の大祓アイキャッチ

こんにちは!

あーすブログの筆者で、神社入門ガイドのyoshikiです🌏

 

6月と12月の末日は、半年の間に溜まった罪やケガレを祓う"大祓(おおはらえ)"という神事が行われるのをご存知でしょうか?

6月の末日に行われる神事のことは『夏越(なごし)の大祓(おおはらえ)』と呼び、私達にとっても非常に重要な祭祀なんですよ。

 

「別に自分は悪いことしてないから関係ない」と思われる方もいらっしゃるでしょう。

しかし、生命の恵みによって生かされている人間は、知らず知らずのうちに、罪やケガレが溜まってますから🤔

できれば半年に一回は、罪やケガレをリセットしたいところ。

 

ということで今回は「夏越の大祓がどのような神事なのか?」をわかりやすく解説✨

毎日を気持ち良く過ごしたい!という方は、ぜひ最後までご覧下さい。

 

 

夏越の大祓はどんな神事?

佐久奈度神社

夏越(なごし)の大祓(おおはらえ)は、半年の間で知らず知らずに犯した罪や心身のケガレ、一切の災いを消滅し、清浄な気持ちを取り戻す祭祀です。

また、これから犯すであろう罪を未然に防ぐという意味合いもあり、平穏無事な生活を過ごすためにも重要な神事といえるでしょう。

 

夏越の大祓では神職の方により、"大祓詞(おおはらえのことば)"と呼ばれる祝詞が読まれます。

大祓詞は、日本神話の内容に始まり、"祓戸大神(はらえどおおかみ)"により罪・ケガレが消え去る様子が述べられた祝詞ですね。

祓戸大神は、セオリツヒメ・ハヤアキツヒメ・イブキドヌシ・ハヤサスラヒメの祓いを司る4柱の神様

人形

その後、紙を人の形に切り抜いた"人形(ひとがた)"に名前と年齢を記入し、身体をなでて息を吹きかけます。

※神社によっては、作法が異なる場合あり

 

こうして、自分の罪・ケガレを人形に付着させ、海や川に流したり、お焚き上げをすることで🙏

人形が自分自身に振りかかる罪・ケガレの身代わりとなってくれるわけですね。

 

神社でとり行われる夏越の大祓は、大体上記のような流れでしょう。

 

ちなみに身代わり人形のことは、"形代(かたしろ)"とも呼ばれています。

身代わり人形といえば、ちょっと恐いイメージがあるかもしれませんが(笑)

ひな人形や五月人形なんかも、子供を災厄から守るための形代ですから、意外と身近な存在だったりするわけです🎎

 

無病息災を願う茅の輪くぐり

建部大社

夏越(なごし)の大祓(おおはらえ)では、参道にチガヤを重ねて作った"茅(ち)の輪"が設けられる神社も多くあります。

この茅の輪を3回くぐることを"茅の輪くぐり"と呼び、罪・ケガレを祓ったり、無病息災の祈願を行うわけですね。

 

この茅の輪くぐりは、インドの神様"武塔天神(むとうてんじん)"が、旅先で"蘇民将来(そみんしょうらい)"という人物に手厚いもてなしを受けた

というお話が由来となっています。

 

武塔天神は、お世話をしてくれた蘇民将来に、荒神"スサノオ"の化身であることを明かし👹

疫病が流行した時は、茅の輪を腰につけると、災厄からまぬがれることができると伝えました。

上記の伝承から、現在でも大祓には、茅の輪くぐりが行われているわけですね。

 

・茅の輪のくぐり方

  1. 一礼して左足で茅の輪をくぐり、左に回る
  2. 再び一礼して右足で茅の輪をくぐり、右に回る
  3. また一礼して左足で茅の輪をくぐり、左に回る
  4. 最後に一礼して左足で茅の輪をくぐり、本殿を参拝

といった感じで、左⇒右⇒左と八の字を描くようにくぐるのがポイント🌿

※神社によって作法が異なる場合あり

 

夏越の大祓は、末日である6月30日にとり行われる神社が大半ですが

茅の輪自体は、6月〜7月にかけて一定期間設置されている場合もあります。

仕事などで大祓に参加できなかった方も、ぜひ茅の輪くぐりを体験してみて下さいね🍀

 

まとめ

海

夏越(なごし)の大祓(おおはらえ)は、大祓詞で罪・ケガレを消し去り🌬

人形(かたしろ)に振りかかる罪・ケガレの身代わりとなってもらう行事。

そして、参道に設置されている茅の輪をくぐれば、無病息災を祈願できるということでした。

 

現在の生活では、毎日お風呂に入って歯を磨いたり、服を洗濯できる清潔な環境が整っていますよね。

これは、神社の手水舎で自ら手と口を清めるように、古来からの禊(みそぎ)の習慣が身に付いているからだと感じます。

 

昔の人達の暮らしには、キレイな水はありませんし、定期的に洗濯する習慣もなかったわけですから

疫病が流行しやすい夏前と冬の時期に、罪やケガレを祓って無病息災を願う祭祀が行われたのかもしれません🤔

 

イザナギの禊祓によって、最も尊い三柱の神様(アマテラス・ツクヨミスサノオ)が誕生したように

古来の禊祓(みそぎはらえ)の習慣が、現在の生活基盤になっていると考えると、祭祀の重要性にも気付かされます。

 

この機会に、半年間の罪やケガレをリセットし、清浄な心と向き合ってみてはいかがでしょうか🍀

【学校じゃ学べない】最古の歴史書『古事記』と『日本書記』について

最古の歴史書アイキャッチ

こんにちは!

あーすブログの筆者で、神社入門ガイドのyoshikiです🌏

 

神社を参拝すると、様々な伝承や由来を見る機会がありますよね?

そんな神社の伝承や由来に大きく関係しているのが、『古事記(こじき)』や『日本書記(にほんしょき)』と呼ばれる書物です。

 

一般的に『古事記』や『日本書記』は、"神話が描かれた空想上のお話"という印象をお持ちの方も多いでしょう。

しかし、そんな書物が、実は「日本で最初にまとめられた歴史書である」と聞けば、ちょっと興味がわいてきませんか?

つまり、学生の頃に一生懸命勉強した(私はしてないけどw)日本の歴史のはじまりが、『古事記』や『日本書記』ということなのです。

 

最古の歴史書であるならば、歴史好きな方はもちろん、日本人として少しは理解したいと思いますよね。

ただ、1,300年以上も前にまとめられた歴史書だけあって、不合理でつじつまが合わない物語も多く、私は序盤から心が折れました(笑)

 

そこで今回は、学校じゃ学べない最古の歴史書古事記』と『日本書記』について、わかりやすく解説したいと思います。

日本神話と日本の政策は、非常に大きく関係していて結構面白いので、よかったら最後まで読んでみて下さいね✨

 

 

古事記』ってどんな歴史書

多賀大社

古事記(こじき)』は、今から1,300年以上前の712年にまとめられた日本最古の歴史書です。

全3巻で構成されており、上巻では天地のはじまりから天の神が日本を統治するまでのお話。

中巻では、天津神の子孫として、奈良地方の豪族を制圧した初代"神武(じんむ)天皇"から八幡神で知られる15第"応神(おうじん)天皇"までの物語。

そして、下巻には第16第"仁徳(にんとく)天皇"から第33代"推古(すいこ)天皇"までの歴史が記述されています📖

 

古事記』の編纂(へんさん)を命じた第40代"天武(てんむ)天皇"は、序文で

「諸家が伝えている皇室の系図や古い伝承には、正実を違えて多く虚偽を加えている」と説いていました。

つまり、地方のでたらめな伝承をかき消して、天皇(ヤマト朝廷)の正しい伝承に書き換えろ!と命じているのです(笑)

 

天武天皇は、各地の豪族たちを取りまとめ、天皇を頂点とする国家の支配を目指していました。

古事記』での神武天皇の記述が正しければ、天皇家は太陽神アマテラスの子孫(神の子)ということになりますね🌅

ですから『古事記』は、ヤマト朝廷による中央集権の正当性を証明する目的で、国内向けにまとめられた歴史書であったとも考えられるわけです。

 

『日本書記』はどんな歴史書

近江神宮

『日本書記(にほんしょき)』は、古事記の編纂から8年後の720年に完成したと伝わる歴史書です。

神代(じんだい)巻にはじまり、初代"神武(じんむ)天皇"から第41代"持統(じとう)天皇"までの全30巻で構成📚

国の成り立ちや神様の名称に多少の変更はありますが、大筋の内容は『古事記』とほぼ同じです。

 

古事記』と異なる点は、大和言葉(日本語)ではなく、奈良時代国際言語であった漢文(外国語)で書かれているという点。

そして、出来事にはきちんと年号が付けられ、すべての記事には日にちが記されているという点です。

古事記』には年号がありませんから、史書としての完成度は『日本書記』の方が高いといえますね。

 

『日本書記』の編纂を命じたのは、『古事記』と同じく天武天皇で、古事記と同様に法令や国家の歴史を示す目的があったと思われます。

ただし『日本書記』は、唐(中国)・新羅(朝鮮半島)を中心とするアジア諸国に向けて、日本国という存在を知らしめるためのもの。

つまり、外国人向けにまとめられた歴史書であったことが考えられます。

 

古事記』と『日本神話』の違い(まとめ)

伊勢神宮大鳥居

ということで、最古の歴史書である『古事記』と『日本書記』について解説していきました。

簡単にまとめると古事記』は日本人向け、『日本書記』は海外の人に向けて、国家の歴史を伝える目的で編纂された歴史書と考えらえます。

ですから、『古事記』は大和言葉(日本語)、『日本書記』は漢文(外国語)で記述されているのでしょう。

 

ちなみに『古事記』は、国津神の代表的な存在であった出雲神話を重視し、出雲族(国内豪族)への配慮がみられること。

逆に『日本書記』では、寺院の起源や朝鮮半島の記録などを使って、海外との交流を伝えていることも特徴として挙げられます。

両書の記述を補い合い読むことで、日本神話や歴史の理解は、さらに深まるのではないでしょうか🍀

 

日本人のルーツを知るということ

日本人のルーツ

日本は、663年に親交関係にあった朝鮮半島百済(くだら)から救援を求められ、唐・新羅の連合軍と戦闘⚔️

これを「白村江(はくすきのえ)の戦い」といいます。

約5万人を超える大軍を送り込みますが、日本・百済の連合軍は、この戦いで大敗を喫(きっ)してしまいました。

敗北した軍のほとんどは、西日本を支配する豪族であったことから、朝廷(は急いで天皇を中心とする国家体制を整えようとします。

唐・新羅に侵略されないよう「日本は独立した国家だ」ということを、中国やアジア諸国へ知らしめる必要があったのでしょう。

 

"大王"は"天皇"・"倭(やまと)"は"日本"へと変更され、中央集権化が進むと、地域の伝承は書き換えられたり、もみ消されてしまいます。

しかし、最後まで中央権力に支配されなかったアイヌ琉球民族には、独自色の強い神話が存在し🧞

出雲国のように代表的な豪族が住んでいた土地の伝承も、『風土記(ふどき)』などの書物で残されています。

 

つまり、『古事記』や『日本書記』に書かれている歴史と異なるから、間違った伝承であるとも限らないわけですね。

最古の歴史書が日本神話の全てじゃないから、神社を巡り、その神社に伝わる物語を学ぶのが楽しくなるのです。

 

しかし、残念なことに日本の教科書には日本神話がほとんど登場しません。

占領政策の影響で、ギリシャ神話の"ゼウス"は知ってるけど、日本神話の"アマテラス"は知らないという学生も多いのです。

ですから神道は、一般的に取っつきにくいイメージがあるのではないでしょうか?

 

日本人としてのルーツや祖先の考え方を伝えていくためにも

日本史の教科書では、まず日本神話からしっかり教えるべきだと思います。

当記事が、日本神話の重要性や神社参拝の面白さを知って頂く機会になれば、嬉しいですね✨

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