「もみじの里」と称される滋賀県の紅葉スポット『永源寺』の見どころを徹底ガイド
こんにちは!関西観光ガイドのyoshikiです🌏
今回は、全国に127の末寺を擁(よう)し、天下安全祈願と坐禅研磨の古道場として篤い崇敬を集める臨済宗永源寺派の大本山『永源寺(えいげんじ)』を徹底ガイド!
滋賀県東近江市の中でも、紅葉の美しさが有名で「もみじ寺」や「もみじの里」と称される寺院です。
滋賀県観光で歴史的建造物を巡りたい方や紅葉スポットをお探しの方は、ぜひ参考にしてみて下さいね。
永源寺の歴史
近江国の守護職務めた六角氏4・6代当主"佐々木氏頼(うじより)"の帰依<頼み>を得た
臨済(りんざい)宗の僧"寂室元光(じゃくしつげんこう)"によって開山されたと伝わる寺院です。
臨済宗は中国に由来を持つ鎌倉仏教における禅宗の一つで、坐禅(ざぜん)が基本的な修行形態。
本来は東福寺派に属していましたが、1880年に独立しています。
最盛期には約2,000人の僧が入寺し、56にもおよぶ僧坊があったそうです。
戦国時代の本格的な幕開けとなった1492年と1563年には、争乱の影響から二度に渡って伽藍(がらん)に火を放たれ衰退。
しかし、寂室元光を慕っていた京都「妙心寺(みょうしんじ)」の僧"別峰紹印(べっぽうじょういん)"等による復興運動の甲斐あって
・第108代後水尾(ごみずのお)天皇
・彦根藩主(井伊家)
の外護を得たことで、現在の美しい伽藍が再興されました。
子授かりの秘仏
永源寺のご本尊である『世継(よつぎ)観世音菩薩』は、寺院の東峰にある大岩の上で光り輝いていた小さな観音像が頭部に宿ったと伝わる秘仏。
のちに氏頼の子"六角満高(みつたか)"が、世継ぎに恵まれず毎日観音を祈願したところ
立派な男児を授かったことから、世継観音と称されるようになったそうです。
600年以上が経過した今でも「子授かり・子孫繁栄」のご利益が有名で、多くの崇敬を集めています。
そんな世継菩薩を祀る本堂の大屋根には、琵琶湖の葦(ヨシ)が葺(ふ)かれており
"滋賀県らしさ"を感じ取ることのできる建造物の一つかもしれません。
境内一帯を彩る「もみじの里」
永源寺といえば「もみじの里」と称されるように滋賀県屈指の紅葉の名所。
11月上旬〜下旬にかけては境内一面がカエデやヤマモミジなど、様々な草木が色付きます。
表参道から総門・山門までの道のりは、赤・黃・緑のグラデーションが息を呑むほど美しい「紅葉のトンネル」がお出迎え。
道中は険しい石段となっていますが、紅葉狩りを楽しみながらなら頑張れるはずです(笑)
境内奥で一際目を引く深紅色の霊楓は、寂室元光自らが植えたと伝わる「開山お手植の楓(カエデ)」
永源寺の紅葉でも見どころの一つでしょう。
寂室元光の墓所の上に建てられたという「開山堂」の目の前にあります。
ちなみに筆者がお気に入りのスポットは、境内のお食事処「音無瀬」さんの前にある紅葉。
傘の下のベンチに座って、ふろふき大根を頂きながら見上げるモミジが至極のひと時です(笑)
愛知川のゆるやかな水の流れと散りゆくモミジを楽しむのも、また一興かもしれません。
永源寺の裏参道から「永源寺ダム」までの景観も非常に素晴らしいので、ぜひお気に入りの紅葉ポイントを探してみて下さいね。
【紅葉の名所】近江屈指の古刹「湖東三山」の魅力を徹底ガイド
こんにちは!関西観光ガイドのyoshikiです🌏
近江屈指の古刹(こさつ)『湖東三山(ことうさんざん)』の魅力について、わかりやすく解説していきます。
11月の下旬にかけては様々なモミジやカエデが咲き乱れる「紅葉の名所」としても有名ですから、ぜひ最後まで読んでみて下さいね。
近江最古級の仏教寺院『百済寺』
寺伝によれば、今から1400年以上前の飛鳥時代。
聖徳太子によって創建されたという近江最古級の仏教寺院『釈迦山 百済寺(ひゃくさいじ)』
名称からもわかるように朝鮮半島の百済(くだら)国にあった「龍雲寺」をモチーフに創られた寺院だそうです。
実際、仏教をはじめとする建築技術を日本に伝えたのは百済系の渡来人と言われており
当寺の伝承からも百済と日本が良好な関係を築いていたことが伺えるのではないでしょうか?
本尊は
●十一面(じゅういちめん)観音菩薩
その名の通り、十一の顔を持つ変化身で
四方から十方まですべての人々を見守ってくれる観音菩薩です。
百済寺の由緒では、八日市の太郎坊山にあった聖木の下半分(根の付いた大樹)を使って彫られたことから「植木観音」とも称されています。
ちなみに上半分の幹で彫られたのは、百済の龍雲寺に安置された十一面観音だと言われ
「同木二体の観音様」として崇敬を集めました。
本尊は天台宗の総本山である「比叡山延暦寺(えんりゃくじ)」の根本中堂(本堂)と同様に秘仏であり、普段はその姿を拝見することはできません。
平安時代から中世にかけては1,000近くの僧坊を誇っており
宣教師ルイス・フロイスが祖国へ送った手紙には「地上の楽園 一千坊」と記したほど、それはそれは美しい光景だったようです。
しかし、戦国時代になると織田信長に抵抗を続けた六角氏に肩入れしたことから
焼き打ちの対象となり、残念ながら一千坊は全焼してしまうのでした。
それでも、江戸時代以降には多くの支援を得て見事に復興。
現在でも「天下遠望の名園」と称され、多くの人々を魅了しています。
11月下旬にかけて、カエデやオタフクナンテンが色付く滋賀県屈指の紅葉の名所としても知られていますから
参拝された際は、ぜひ美しい景観を一緒に楽しんでみて下さいね。
血染めのモミジで有名な『金剛輪寺』
奈良の大仏造立の立役者である大僧正"行基(ぎょうき)"によって開山されたと伝わる『松峯山 金剛輪寺』
●聖観世音(しょうかんぜおん)菩薩
十一面観音や千手観音のような変化身ではなく、一面二臂の人に近い姿形をした観音のことを指します。
とりわけ金剛輪寺の聖観音は「まだ未完成品ではないか?」と疑いたくなるほど、荒々しく彫られているそうですよ。
なぜ未完成な容姿をしているの?
その理由は行基に関する寺伝が関係しているんだよ
木肌から一筋の血が流れ落ちたため、その瞬間に魂が宿ったとして粗彫りのまま祀ったという伝承。
上記の寺伝から現在でも「生身の観音」と称され、篤い崇敬を集めています。
また、金剛輪寺の本堂には日本最古の大黒天が安置されていることでも有名ですね。
七福神の一柱である大黒天といえば、ふくよかな体型にニコやかな顔。
大きな袋を背負い、打出の小槌を持った姿を想像される方が多いのではないでしょうか?
しかし、天台宗の開祖である"最澄(さいちょう)"が唐から請来(しょうらい)した日本最古の大黒天はまるで別人!
不動明王のような憤怒(ふんぬ)の相をしているのです。
なぜ、金剛輪寺の大黒天は恐ろしい表情なのでしょうか?
その理由は、ヒンドゥー教の創造神シヴァの化身"マハーカーラ"を仏教に取り入れたものが大黒天だったからです。
マハーカーラ(シヴァ)は破壊と再生を司る闘神であり、時に死を意味する畏怖(いふ)の対象でもありました。
新たなモノが生み出されれば、同時に古いモノは淘汰されていく。
資本主義における"創造的破壊"の概念が、古来のインドから存在したというのは感慨深いものがありますね。
後に様々な神様と習合した結果
現在でこそ七福神のにこやかなイメージが定着している大黒天ですが、その始まりは恐ろしい神様だった。
そんな歴史の一端を学べるのも金剛輪寺の魅力の一つかもしれません。
11月中旬から下旬にかけて、モミジが美しく色付く紅葉の名所です。
とりわけ本堂から拝見できるヤマモミジやトウカエデは真っ赤に染まり
生身観音の伝承に因んで「血染めのモミジ」と称される人気のビューポイント!
本堂から三重塔まで向かう参道には、空がハートマークに見える知る人ぞ知る映えスポットもあります。
ハートマークの映えスポットは、本堂の職員さんが詳しく教えてくれるので
金剛輪寺を参拝された際は、せひ写真に納めてみてはいかがでしょうか。
鎌倉時代の純和様建築『西明寺』
平安時代初期に真言宗の僧"三修(さんしゅう)上人"によって開山されたと伝わる『西明寺(さいみょうじ)』
三修上人は、滋賀県最高峰の神名備「伊吹山(いぶきやま)」に弥高寺(現在は跡地のみ)を開山したことでも知られる伝説的な行者。
天台宗の寺院となった鎌倉〜室町時代にかけても祈願・修行道場として
約300の僧坊を有する寺院だったそうです。
織田信長の延暦寺焼き打ちの直後、比叡山傘下である当寺も焼き打ちの被害を受けたが
山門周辺を激しく燃やして全焼に見せかけたため、本堂・三重塔・二天門は火難を免れました。
そのため、初期飛騨の匠が建立(こんりゅう)した釘を使用しない鎌倉時代の純和様建築(本堂・三重塔)が当時のまま保存されています。
ご本尊は
●薬師如来
古来より医薬の仏として崇敬を集めており、比叡山延暦寺「根本中堂」の本尊(薬師如来)とは向かい合う形で祀られています。
延暦寺と同様に秘仏のため、普段はその姿を拝見することはできません。
ちなみに本堂の薬師如来像前にある西柱と南柱には、4尊の柱絵(菩薩)が描かれていたことが判明。
柱絵は飛鳥時代のもので、日本最古級の仏教絵画。
同時に西明寺の創建が平安時代以前である可能性を示す貴重な資材となっています。
西明寺の堺内には天然記念物の自然も豊富にあり
●1000本を超えるモミジ
●11月に満開を迎える「不断桜」
●樹齢約1000年の夫婦杉や龍の神木
●参道を彩る鮮やかな苔
を楽しむこともできます。
ぜひ近江屈指の古刹で、貴重な建造物と豊かな自然を堪能してみてはいかがでしょうか。
約3,000本のモミジが楽しめる滋賀県屈指の紅葉の名所『日吉大社』を徹底ガイド
こんにちは!神社入門ガイドのyoshikiです🌏
今回は、全国に約3,800社余りある日吉・日枝・山王神社の総本宮。
滋賀県大津市の比叡山の麓(ふもと)に鎮座する『日吉大社(ひよしたいしゃ)』について、わかりやすく解説したいと思います。
日吉大社といえば、国の史跡に指定される400,000平方メートルの広大な境内に
約3,000本のモミジやカエデが咲き乱れる滋賀県屈指の紅葉の名所としても人気の神社。
10月下旬から11月下旬かけては、自然の織り成す錦秋が楽しめるパワースポットですから
滋賀県の紅葉スポットをお探しの方は、ぜひ最後までご覧ください。
平安京を守護した厄除けの大社
日吉大社は國の首都であった「平安京(へいあんきょう)」の北東に位置していたため
都を守護する厄除けの大社として国中から崇敬を集めました。
いわゆる、鬼が出入りする不吉な方角を封じる"鬼門封じ"の役割を担っていた神社の一つなんですね。
元々、中国の風水や日本で流行した"陰陽道(おんみょうどう)"の影響により
北東は鬼門・南西は裏鬼門として忌み嫌われていました。
平安京でいえば
など、様々な神社仏閣が鬼門封じに配置されていることで有名ですね。
現在でも厄除けのご利益があるとして、全国的に崇敬を集めています。
とりわけ日吉大社の神の使いである"神猿(まさる)"は「魔が去る・誰よりも勝る」魔除けの象徴と言われ、当地では古来より猿を大切に扱ってきました。
ちなみに楼門を持ち上げている神猿なんかも存在!
"棟持猿(むなもちさる)"と呼ばれ、親しまれています。
写真のように神猿はお守りや絵馬に描かれているだけでなく、境内の至るところに隠れていますからぜひ探してみて下さいね。
大津京を守護する西本宮
日吉大社には、古来より大津京と比叡山を守護する「西本宮」と「東本宮」の二つの本殿が鎮座しています。
西本宮は第38代"天智天皇"が「近江大津宮(大津京)」の鎮護を目的に669年に創建されました。
西本宮のご祭神は
●大己貴神(オオナムチ)
本来は荒神スサノオの七世の孫であり、地上(葦原中国)の国創りを勤め上げた国津神の主宰神"大国主(オオクニヌシ)"の別称です。
しかし、西本宮のご祭神の場合は奈良県最古の神社「大神(おおみわ)神社」の主祭神である"大物主神(オオモノヌシ)"を勧請したものとして伝わっています。
「日本書紀」で大物主は、大国主の和魂(にぎみたま)であるという記述から
恐らく当社では、大物主=大己貴と解釈されたのでしょう。
西本宮のすぐ隣には、本殿とほぼ同じ構造配置の摂社『宇佐宮(うさみや)』があります。
高い床下には大きな岩が露出しており、古来の磐座(いわくら)信仰を伝える貴重な社殿なのかもしれません。
ご祭神は
●田心姫命(タゴリヒメ)
太陽神アマテラスと荒神スサノオの誓約(うけい)によって誕生した「宗像(むなかた)三女神」の長女で、あらゆる道の最高神です。
当社では、大己貴神の妻として祀られていたものと推測されます。
比叡山を守護する東本宮
西本宮からまっすぐ東へ進むと、比叡山の地主神を祀るために創建された「東本宮」があります。
詳しい創建年代はわかっていませんが、その歴史は古墳時代まで遡ると言われており
日本の中でも最古の伝承を持つ神社の一つです。
伝承が正しければ、西本宮が創建される前から当地で信仰を集めていた神社になりますね。
主祭神は
●大山咋神(オオヤマクイ)
大きな山の杭を意味するように「山の所有者」
すなわち比叡山そのものを神格化した神様ということでしょう。
社殿の正面と両側面に庇(ひさし)が付け加えられた特殊な本殿は「日吉造(ひえづくり)」と呼ばれ
東本宮本殿及び、前述した西本宮本殿・宇佐宮本殿でしか拝見することができない社殿形式です。
日吉大社を訪れた際は紅葉だけでなく、社殿形式に注目してみても面白いのではないでしょうか。
東本宮の境内で唯一、違う方角を向いて鎮座する摂社『樹下(じゅけ)神社』
参道を跨ぐ形で本殿と拝殿が配置されている全国的にも珍しい神社です。
ご祭神は
●鴨玉依姫神(タマヨリヒメ)
京都の下鴨(しもがも)神社の主祭神としても知られる初代"神武天皇"の母親であり「神霊を依り憑かせる巫女」
樹下神社の配置は、神体山を拝む形で創られています。
そのことから「東本宮本殿よりもはるか昔から信仰されていた最古の神社は、樹下神社ではないか?」という仮説が立つくらいです。
兎にも角にも、東本宮も西本宮と同じかそれ以上の力を持つパワースポットであることには間違えないでしょう。
琵琶湖が一望できる神体山
東本宮の主祭神"大山咋神(オオヤマクイ)"が降臨したと伝わる神体山も、実は日吉大社の境内から参拝することができます。
神体山のある奥宮は、西本宮から東本宮に向かうまでの急な石段を登った先にそびえる「八王子山」の山頂。
「大山咋神、赤の名の山末之大主神。此の神は近淡海国の日枝の山に坐し」
と「古事記」に示されているように、日吉大社が創建されるはるか昔から
大きな磐座(いわくら)が神様として信仰されていたことが伺えますね。
大山咋神が降臨したと伝わる日吉大社始まりの磐座「金大巌(こがねのおおいわ)」の両サイドには、二つの社殿が立ち並んでいます。
この二つの社殿には、東本宮のご祭神である大山咋神と鴨玉依姫神の荒御魂(荒れ狂う魂)が祀られており
・大山咋神の荒御魂を祀る右側の社殿を「牛尾宮(うしおみや)」
・玉依姫の荒御魂を祀る左側の社殿を「三宮(さんのみや)」と呼びます。
この奥宮に神輿(みこし)が遷され、大山咋神と玉依姫の結婚を再現する「午の神事」の舞台にもなるのです。
ちなみに標高381mにも及ぶ八王子山(奥宮)は、琵琶湖が一望できる隠れた絶景スポット。
その景観は、有料の展望台レベルと言っても過言ではありません。
もちろん、奥宮から見るモミジも非常にキレイです。
本宮の参道より間違えなく人通りも少ないので、ゆっくり紅葉と滋賀の町並みを楽しめるのではないでしょうか?
ただし山頂までの道のりは、斜度60度近くある砂利道をひたすら登らなければなりません。
手すりなんかも備え付けられていませんから
奥宮まで参拝される際は、トレッキングシューズが運動靴をオススメします。
神仏習合を今に伝える山王鳥居
日吉大社一の紅葉スポットである西本宮の鳥居の上には、三角形の破風(はふ)が取り付けられています。
西本宮の鳥居は『山王(さんのう)鳥居』と呼ばれ、山王信仰の象徴として崇敬されてきました。
これは最澄(さいちょう)が天台宗を開いた際、中国の天台山に祀られていた"山王元弼真君(さんのうげんひつしんくん)"にちなみ
日吉社の神を山王権現と称し、比叡山延暦寺の守護神として信仰したことに始まります。
つまり、山王鳥居は平安時代に流行した神仏習合の流れを今に伝える貴重な鳥居ということになるでしょう。
まるで手が合掌しているようにもみえる山王鳥居は、別名"合掌鳥居"とも呼ばれています。
本来は神社の中にも多くの寺院が創建されており
当然、日吉大社の境内にも神宮寺が立てられていました。
明治時代の神仏分離令が発令されると仏像を壊したり、焼き捨てたりする廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)が全国的に広まりをみせますが
その発端は、皮肉にも日吉大社と延暦寺の争いだったといわれています。
当然、日吉大社の奥宮にあった神宮寺も現在は存在していません。
日吉大社の山王鳥居は、廃仏毀釈のような悲劇が二度と起きないように
神道と仏教の"在り方"を後世に示した鳥居なのかもしれません。
日吉三橋と隠れたお祓いスポット
日吉大社の大鳥居を抜けて最初に渡る石橋は『日吉三橋』と呼ばれ、そのすべては天下人"豊臣秀吉"によって寄進されたものと伝わります。
豊臣秀吉は「日吉大神のお告げによって生まれた武将である」という逸話が存在し
もしかしたら日吉三橋の寄進とも関係しているのかもしれません。
秀吉の幼名は"日吉丸"
あだ名が"猿"ですから、この考察もあながち間違っていないのではないでしょうか(笑)
ちなみに日吉三橋は
●大宮橋ー西本宮に繋がる橋
●二宮橋ー東本宮に繋がる橋
●走井橋ー走井祓殿社に繋がる橋
といった感じで、境内の主要スポットへ向かうための重要な役割を果たしています。
西本宮・東本宮と同様に唯一橋が掛けられている末社『走井祓殿(はしりいはらえどの)社』
橋の傍らには清めの泉があり、祭祀に先立って祝詞を唱える祓所として重要視されていた神社です。
ご祭神は
●瀬織津姫(セオリツヒメ)
●速秋津姫(ハヤアキツヒメ)
●気吹戸主(イブキドヌシ)
●速佐須良姫(ハヤサスラヒメ)
以上、四柱の神様。
様々な罪・穢(けが)れを打ち消す「祓戸大神」とも称されます。
重要な祭祀や比叡山の千日回峰行(かいほうぎょう)の際も必ず参拝される日吉大社の隠れたパワースポットです。
他にも400,000mの広大な境内では全国的にみても力のある神様がたくさん祀らえていたり
モミジやカエデをはじめとした多くの自然を鑑賞することができます。
各社殿には、日吉大社ならではの伝承が丁寧に説明書きされているので
神道のことをよく知らない方でもきっと楽しんで頂けるのではないでしょうか。
【参拝時間】9:00〜16:30
【拝観料】300円
【駐車場】無料
※特定日は有料の場合あり
【御朱印】300円
【ご利益】方除け・厄除け
【もみじ祭】2022年11月3日〜11月31日まで
関西の日光と呼ばれる神社
比叡山の東麓に鎮座する『日吉東照宮(ひよしとうしょうぐう)』
東照宮といえば、栃木県日光市に鎮座する「日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)」を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか?
日吉東照宮の社殿は、そんな東照宮の雛形として創建されたもので
本殿と拝殿を石の間で繋ぎ、一体化した権現造の発祥といわれています。
日吉東照宮のご祭神は
●徳川家康
●日吉大神
●摩多羅(まだら)神
以上、三柱の神様。
当社の創建は、徳川家康の側近として宗教政策に携わった天台宗の僧"天海(てんかい)"であり
神仏分離令が発令される以前は比叡山延暦寺の管轄下にあったそうです。
実際、摩多羅神は密教における念仏の守護神なので神社に祀られているのは珍しいですね。
日吉東照宮の本殿は、土日祝日限定ではありますが内部拝観も可能です。
日吉大社からは少し歩かなければなりませんが
東照宮のモデルとなった貴重な神社建築を堪能できる隠れた穴場スポットですよ!
モミジやイチョウ、琵琶湖の景観をゆっくり楽しめるビューポイントでもありますから
ぜひ日吉大社と合わせて参拝してみてはいかがでしょうか?
アスリートが足繁く通う勝利の神社『太郎坊宮』の魅力とは?
こんにちは!神社入門ガイドのyoshikiです🌏
秋といえばカラッと涼しい日が多くなり、体も動かしやすくなる季節
本格的にスポーツをスタートさせる方も多いのではないでしょうか。
スポーツに本気で取り組むならやはり"勝利"を勝ち取りたいですよね!
勝利をもたらすパワースポットがあるのをご存知でしょうか?
そこで今回は、アスリートが足繁く通う勝利の神社『太郎坊宮』の魅力について徹底ガイドいたします。
「絶対に負けられない戦いがある!」という方は、ぜひ最後まで読んでみて下さいね(笑)
アスリートが足繁く通う勝利の神社
大和時代から夫婦岩をはじめとする巨石を磐座(いわくら)として、祭祀の中心地であったとされる赤神山。
その中腹に社殿が建てられた『阿賀(あが)神社』
神社(神体山)を守護する大天狗"太郎坊"が住むという伝説から「太郎坊宮」と称され、親しまれている神社です。
本殿までの道のりは非常に急な階段があるにも関わらず、プロスポーツ選手をはじめとする多くの著名人が足繁く通うパワースポットでもあります。
なぜ、太郎坊宮には多くのアスリートや経営者が訪れるのでしょうか?
その理由は、ご祭神が"勝利と幸福を授ける神様"であり
すぐにご利益が現れるとする「神験即現(しんげんそくげん)」の大神として、信仰を集めているからです。
そんな太郎坊宮の主祭神は
●正哉吾勝勝速日天忍穂耳大神(アメノオシホミミ)
伊勢神宮の太陽神アマテラスの第一皇子であり、アマテラスと弟のスサノオの誓約(うけい)によって誕生した神様です。
アメノオシホミミには
「まさに勝った、私は勝った。朝陽が昇るように鮮やかに、速やかに勝利を得た」
という誓約に勝利したスサノオの"勝ち名乗り"が名前の一部となっています。
恐らく太郎坊宮が勝利の神社と呼ばれるようになったのも、スサノオの勝ち名乗りが関係しているのではないでしょうか。
必勝祈願を行う際には、ぜひ当社の天忍穂耳に自分の決意を述べてみて下さいね。
巨石信仰を今に伝えるパワースポット
前述でもお伝えしたように太郎坊宮の起源は、夫婦岩をはじめとする「巨石(磐座)信仰」にあると言われています。
高さ10mを雄に越える"夫婦(めおと)岩"は、アメノオシホミミが祀られている本殿へ続く間道となっており
「大神の力で押し開かれた」と言い伝えられる太郎坊宮随一のパワースポットです。
太郎坊宮の名前の由来となった「太郎坊天狗が住んでいる!」と畏れられたのも、この夫婦岩ですね。
学術的にいえば"湖東流紋岩(ことうりゅうもんがん)"と呼ばれるマグマが固まって作られた岩石であり、もちろん夫婦岩の隙間もその節理によって生まれたものでしょう。
つまり、大きな夫婦岩は火山のない滋賀県において、カルデラ噴火があったことを裏付ける証拠となるわけですね。
しかし、実際に圧倒的な存在感の夫婦岩を目の当たりにすると
「何かが宿っている」というアニミズム(自然崇拝)も一つの真理なのではないか?とすら思えてくるから不思議です。
この間を通って参拝するものは、即座に病苦を除き諸願も成就するが、悪心があれば岩に挟まれてしまう。
上記のような言い伝えも、自分を見つめ直すキッカケとなるのかもしれませんね。
自分の本心と向き合うというのは、それだけ勇気のいることなのです。
神仏のご利益を授かる
太郎坊宮は有名アスリートだけでなく聖徳太子や最澄・源義経など、歴史上の偉人からも多くの崇敬を集めた神社でもあります。
赤神山には次々と社殿が建てられ、日本古来の神道を基とした天台宗の山岳仏教と修験道が相交わる独自の信仰形態が確立されました。
山の守護神である大天狗"太郎坊"の存在も、修験道の影響が非常に大きいでしょう。
現在でも境内には七福神の石像や不動明王が鎮座しており、神仏習合の名残を垣間見ることができます。
七福神巡りは「七つの災難と除き、七つの幸福を授かる」と言われていますし
不動明王は「全ての人を導き、一切の煩悩や災いを祓う力」をもった仏様です。
神様のお力だけでなく、仏様のご利益を授かることができる!というのも太郎坊の魅力の一つかもしれませんね。
焼き立て!太郎坊だんご
太郎坊宮の本殿から七福神が祀られた裏参道を進んだ先にある"絵馬殿"では、土日祝日限定で焼きたてのみたらし団子を購入することができます。
その名も「太郎坊だんご」
太郎坊宮の麓(ふもと)で創業以来みたらし団子の製造・販売をされている"ふる里"さんのお団子です。
太郎坊だんごは、近江米を使用したモチモチ食感と甘辛ダレが絶妙にマッチした焼きたてホヤホヤのみたらし団子。
販売されているお団子は
●太郎坊だんご(3本300円)
●抹茶みたらし(3本300円)
●黒蜜きな粉だんご(3本400円)
の三種類があり、お値段も非常にリーズナブルでした。
絵馬殿のベンチに座って、自然の風景を眺めながら食べる太郎坊だんごはまた格別ですよ。
ふる里さんは太郎坊宮だけでなく、京都観光名所や全国の百貨店などでゲリラ的にみたらし団子を販売されているため
当社では、基本的に土日祝日限定の出店だと思われます。
機会があれば、ぜひ食べてみて下さいね。
もう一つの阿賀神社
滋賀県の東近江市には、太郎坊宮以外にもう一社『阿賀神社』と名の付くパワースポットが存在します。
太郎坊宮から八風街道沿いを進んだところにヒッソリ鎮座する神社です。
創建自体は、天正年間と比較的新しい神社ではありますが
●山を拝む形の本殿
●夫婦岩の奥に建つ祠(ほこら)
など、境内を巡れば太郎坊宮と同様に古来から磐座(いわくら)を信仰する祭祀があったことが伺えました。
阿賀神社のご祭神は
●猿田彦大神(サルタヒコ)
アマテラスの孫にあたる"ニニギ"が地上に降臨する際、その道案内を買って出た道開きの神様です。
また「鼻長七咫・背長七尺」という容姿から
天狗の原型として信仰を集めている地域もありますね。
当地でも、山(修験道)の守護神である大天狗"太郎坊"に見立ててサルタヒコを祀った可能性も考えられるのではないでしょうか。
ちなみにもう一つの阿賀神社は、船岡山の麓(ふもと)に位置しています。
そして、天智天皇の妃(きさき)である"額田王(ぬかたのおおきみ)"の複雑な恋模様を謳った相聞歌(そうもんか)の舞台と伝わる場所です。
隣接する「船岡山公園」は、そんな古代の万葉文化を記念するために整備されたもので
万葉集で詠まれた歌碑(かひ)や100種類以上の植物を楽しむことができます。
ぜひもう一つの阿賀神社を訪れて、古代の伝統文化と触れ合ってみて下さいね。
太郎坊宮参拝でオススメのお蕎麦屋さん
最後に太郎坊宮参拝でオススメのお蕎麦屋さんをご紹介いたします。
田園風景が広がるのどかな住宅街のポツンと佇む『そば処 藤村』さんです。
注視しておかなければ通り過ぎてしまいそうな古民家風の外観に控えめな看板。
しかしながら、滋賀県のお蕎麦屋さんランキングではNo.1・2に選ばれ
開店から30分で長蛇の列が出来る滋賀県トップクラスの人気店です。
クラシックで落ち着いた雰囲気の店内ですし、メニューも蕎麦オンリーと非常にシンプル。
細くてしっかり角の立った蕎麦に程よいコシとなめらかな喉越し
「シンプル・イズ・ベスト!」とはまさにこのことでしょう。
看板メニューの"十割そば"は一日30枚限定のメニュー。
蕎麦がすべて売り切れれば、営業時間より早く閉店してしまうので早めの来店が吉かもしれませんね。
すべてにおいて洗練されたそば処 藤村さん。
ぜひ、パワースポット巡りの合間に訪れてみてはいかがでしょうか。
【古都京都を巡る旅】世界遺産『平等院』と宇治市のオススメ観光スポット
こんにちは!神社入門ガイドのyoshikiです🌏
「源氏物語」の舞台にもなった貴族文化と四季折々の風景
"古都京都の文化財"として『平等院(びょうどういん)』などが、ユネスコ世界遺産に登録されている京都府宇治(うじ)市。
今回は、そんな古都京都を巡る旅
世界遺産『平等院』と周辺にある宇治市のオススメ観光スポットを徹底ガイドいたします。
宇治市は、非常に長い歴史を持つ魅力的なパワースポットがたくさんありますから
ぜひ最後まで読んでみて下さいね。
極楽浄土をモデルにした世界遺産
宇治市を代表する観光スポットといえば、"古都京都の文化財"としてユネスコ世界遺産に登録されている『平等院(びょうどういん)』を想像される方も多いのではないでしょうか?
とりわけ「鳳凰(ほうおう)堂」は、10円玉にも描かれるくらい華やかな宮殿で
平等院の伽藍(がらん)でも人気の撮影スポットですよね。
そんな平等院は、時の関白"藤原頼通(ふじわらよりみち)"によって創建された寺院で
鳳凰堂のある場所は元々、父道長をはじめとする平安貴族の別荘地でした。
なんで寺院にしちゃったんだろう?
仏法の力が衰えた世の中を恐れていたからだよ
平安末期にあたる1052年は釈迦の死後1,000年(ないしは2,000年)が経過した"末法の世"と言われ、仏法の力が衰えて世の中が乱れるという「末法思想」が社会に大きな影響をもたらしました。
●戦乱や疫病などの社会不安が広がったこと
●貴族の摂関政治が衰えを見せていたこと
から最大級の権力を誇っていた頼通も、例外ではなかったのかもしれません。
実際に鳳凰堂のモデルは、経典に描かれていた浄土の宮殿や庭園をイメージしたものでした。
つまり、来世(極楽浄土)へ救いを求める頼通の願いが鳳凰堂を創り上げたのでしょう。
実際、ご本尊が祀られた中堂の左右に建てられた翼廊は実用性がほとんどありません。
「菩薩の化身である鳳凰(ほうおう)が飛び立つように極楽浄土へ行きたい!」
という強い願望によって創造された非常に珍しい建物なんですね。
そんな鳳凰堂の中堂には
●阿弥陀如来坐像(あみだにょらい)
が鎮座しています。
・アミターバ(計り知れない光を持つ者)
・アミターユス(限りない寿命を持つ者)
に由来しており、空間や時間を超越する無限の力を有する西方極楽浄土(浄土信仰)の教主とされる仏様です。
とりわけ平等院の阿弥陀如来は、平安時代を代表する仏師"定朝(じょうちょう)"の作品であることが確実な現存唯一の仏像と言われています。
鳳凰堂の内部拝観(300円)では
定朝様式のお家芸といえる二つ以上の材料を繋ぎ合わせた"寄木造(よせぎつくり)"技法。
そして、箱型の中に花形の円蓋(えんがい)を組み合わせた豪華な天蓋(傘)を拝見することができますよ。
平等院を訪れたら、ぜひ鳳凰堂の内観も体験してみてはいかがでしょうか。
平等院を守護した古社
平等院の南方にひっそりと佇む『縣(あがた)神社』は、平等院創建時に裏鬼門の鎮守神とされた古社です。
かつては、大和朝廷の直轄(ちょっかつ)領であった県に関係する重要な神社だったそう。
ご祭神は
日本神話で最も美しいと記される天孫"ニニギ"の妻であり、桜の儚さを現したような神様。
子孫である歴代天皇が短命になったのも、木花咲耶姫と結婚した誓約によるものと描かれています。
佳人薄命、子も薄命とは...
ちょっと怖い話ですね(笑)
炎が燃えさかる中で三柱の子を産んだ神話から、現在では安産・良縁の女神として崇敬を集めています。
神仏分離令が発令された明治時代以降は独立した神社となっています。
人通りが少なく、こじんまりとした神社ですが
大きな御神木や松の木が印象的で、自然の神秘を感じるパワースポットでした。
平等院の境内にある「平等院ミュージアム」で、宇治市の風景画を拝見しましたが
寺院の管轄下にあった時代は、相当大きな敷地を誇っていたと思われます。
平等院と合わせて足を運びたいオススメの神社ですよ。
正門前の宇治抹茶専門店
様々なお土産屋さんやお食事処が軒を連ねる平等院表参道の中でも
平等院の正門前にお店を構えているのが宇治抹茶専門店の『ますだ茶舗』さん。
ブレンドや添加物は一切使用せず、純度100%の宇治茶が楽しめる
「宇治の老舗お茶屋さん」と聞くと、なんとなく敷居が高そうな気がしますよね(笑)
しかし、カジュアルに本格宇治茶が楽しめる!というのが
ますだ茶屋さんの魅力の一つ。
カフェメニューでは、新感覚の抹茶ドリンクや
イタリア発祥のデザート"アフォガード"の抹茶アレンジをリーズナブルな価格で楽しむことができます。
そんなユニークなカフェメニューの中でも特に人気のメニューが「宇治抹茶ソフトクリーム」
高級抹茶「初昔」のパウダーを贅沢に振りかけた抹茶ソフトクリームです。
風味が豊かで、口当たりもまろやかな初昔と抹茶ソフトの甘みが絶妙にマッチしていました。
400円で高級抹茶を味わえるわけですから、確かにリーズナブルですよね!
平等院をたくさん歩いた後は、宇治で一番と評される抹茶ソフトクリームに癒やされてみてはいかがでしょうか。
世界遺産!現存最古の神社建築
平等院と共に"古都京都の文化財"の構成資産として、ユネスコ世界文化遺産に登録されている『宇治上(うじがみ)神社』
詳しい創建年代などはわかっていませんが
隣接する宇治神社と合わせて平等院の鎮守神となり、広く崇敬を集めた古社。
平安後期の1060年に造られた本殿は、現存する日本最古の神社建築とも伝えられています。
そんな本殿の左殿には、第15代応神天皇の皇子である
●菟道稚郎子命(うじのわきいらつこ)
中殿には菟道稚郎子の父である
●第15代応神(おうじん)天皇
右殿には菟道稚郎子の異母兄(腹違いの兄)である
●第16代仁徳(じんとく)天皇
以上 三柱の神様が祀られています。
菟道稚郎子は仁徳天皇に皇位を譲るべく、自ら命を絶ったという悲しい逸話があり
宇治上神社創建のいわれにもなっているそう。
「山城国風土記」によれば、宇治上神社の境内は菟道稚郎子の離宮(王宮どは別の宮殿)旧跡と伝えており
菟道稚郎子が当地を訪れた際は、ウサギが道案内を行ったという物語も残されています。
"宇治"の古名は、ウサギの道を意味する"菟道"ですから
宇治市と菟道稚郎子には、元々深い関係性があったのかもしれません。
少なくとも当地では、神域である山と人々が暮らす里を往来できるウサギを神使として大切に扱っていたことは間違えないでしょう。
ちなみに宇治上神社のお手水舎は、"桐原水(きりはらみず)"と呼ばれる湧水になっています。
この桐原水は、宇治茶に不可欠な水の中でも
特に相応しい湧水として「宇治七名水」に数えられていました。
他の六名水はすでに失われているため、宇治七名水で現存する最後の湧水が桐原水なのです。
まさしく宇治上神社は、平安時代の風情を今に伝える貴重な歴史観光スポットといえるでしょう。
中国文化を伝える寺院
1661年に中国の僧"隠元隆琦(いんげんりゅうき)"によって開創された『萬福寺(まんぷくじ)』
曹洞宗・臨済宗と共に「日本三大禅宗」に数えられる黄檗(おうばく)宗の大本山です。
江戸時代初期に建てられた比較的新しい寺院ではありますが
他の禅宗とは違い、伽藍の配置から建造物まで中国的な特徴が色濃く反映されています。
例えば、萬福寺の本堂である「大雄寳殿(だいおうほうでん」は
世界三大銘木であるチーク材を使用した日本唯一にして最大の歴史的建造物。
他にも萬福寺の建築物の特徴として
などなど、日本の神社仏閣ではあまり見られない中国文化を楽しむことができるでしょう。
建築物以外にもインゲン豆やスイカ・タケノコなど、隠元隆琦によって多くの食材が日本にもたらされたと言います。
もちろん、インゲン豆は隠元隆琦が名前の由来ですね。
他にも、萬福寺のシンボルの一つともいえる"開梛(かいぱん)"も
隠元隆琦によってもたらされた木魚の原型となる魚板。
開梛は萬福寺の食堂前に吊るされており、儀式や行事の刻限を知らせる法器として現在でも使われているので、ぜひ拝見してみて下さい。
一日中目を閉じることがない魚は、寝る間を惜しんで修行に精進する黄檗宗の象徴。
科学的に考えれば、寝る間を惜しんで頑張るのは美徳ではありませんが
時間を忘れるくらい没頭できる!という観点でみれば、大切なマインドなのかもしれません。
前述したように明朝様式を採用した伽藍(がらん)の配置も非常に面白く、寺院の玄関として『天王殿』を配しています、
日本では山門を入って寺院が建つのは珍しいですが、中国では一般的な建て方だそうです。
萬福寺の天王殿には、人々を救うために現れるとされた未来仏である
●弥勒菩薩(みろくぼさつ)
が祀られています。
日本に祀られている弥勒菩薩といえば、スラッとした姿で物思いに耽る"半跏思惟像(はんかしいぞう)"を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか?
しかし、萬福寺ではなぜか七福神の布袋さんが弥勒菩薩として祀らているのです。
これは中国の伝説で、布袋さんが弥勒菩薩の化身と広まったことから。
実際、日本と友好関係にある台湾でも
弥勒菩薩といえば太鼓腹の布袋さんが祀られていることが多いですね。
萬福寺では、日本の神社仏閣とは少し違った中国文化をぜひ楽しんでみて下さい。
江戸時代から続く宇治茶の老舗
宇治を代表するスイーツのお店といえば、江戸後期の天保3年に創業された『伊藤久右衛門(いとうきゅうえもん)』さんではないでしょうか?
最近では様々なお菓子メーカーやコンビニとのコラボ商品がたくさん販売されているので、全国的にも有名なお店かもしれませんね。
そんな伊藤久右衛門さんの茶房では
●手摘み一番茶を使った宇治茶
●独創的な抹茶スイーツや料理
を頂くことができます。
特に人気なのは、和の食材をふんだんに使用した「伊藤久右衛門パフェ」や宇治茶の風味を楽しめる「抹茶そば」ですね。
ランチメニューには、抹茶そばにミニパフェが付いたお得なセットメニューもありましたよ。
季節ごとには期間限定のパフェも販売されているので
宇治市のパワースポットを巡った後は、伊藤久右衛門さんで"癒やしの時間"を過ごされてみてはいかがでしょうか?