【神仏習合】仏教が神道にもたらした影響とは?
こんにちは!
現在であれば、神道(神社)と仏教(お寺)は、"似て非なるもの"というイメージをお持ちの方も多いかと思います。
しかし、奈良時代から明治時代までの長い間、神道と仏教は一体化していたことをご存知でしょうか?
これを"神仏習合"または"神仏混淆(こんこう)"と呼び、寺院には鳥居が建てられ、神社の境内にもお寺がありました。
そこで今回は、神仏習合について取り上げ「仏教が神道にどんな影響をもたらしたのか?」をわかりやすくお話していきます。
ぜひ最後までご覧ください😌
仏教が神道にもたらした影響とは?
仏教が神道にもたらした影響として一番大きく変化したのが、"信仰形態"ではないでしょうか。
昨今の神社参拝ブームの火付け役である、"ご利益"という考え方は、仏教が伝わってこなければ存在しなかったかもしれません。
そもそも、神道の信仰形態は、祖神や自然を崇敬することからはじまりました。
自然の恵みに感謝し、災害が起こらないよう祈るものが神様だったわけですから、人を直接的に救う存在ではなかったわけですね🌿
しかし、中国から伝わった仏教の思想や文化は、権力を持つ豪族たちに支持され、神道の在り方も変わっていきます。
そして、平安時代に大きく普及したのが、"本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)"という考え方。
これは「神は仏が人々を救うための仮の姿である」という思想です。
畏敬(いけい)の対象でしかなかった神様は、仏教の考え方によって人々の救済を説く存在へと変化していくのでした🙏
神様が可視化(かしか)されたり、広く名前が付くようになっていったのも、仏教の影響といえるでしょう。
ちなみに神官の中には、本地垂迹説の思想に意見し、逆説を唱える人達もでてきます。
神様は仏になるための修行の身ということで、なんとなく仏教が神社を主導する形ではありましたから。
当然といえば当然かもしれませんね(笑)
神道と仏教はなぜ一体化できたのか?
文明的に洗礼されていた仏教には、天台宗の開祖である"最澄(さいちょう)"や真言宗の開祖"空海(くうかい)"など、カリスマ的存在が次々と誕生しました。
元々、教義や教典のない神道には教祖もいなかったわけで、当時は仏教が政治の主導権を握っていたとも考えられます。
最悪の場合、神道の存在そのものが消えてしまっても不思議ではなかったわけですね😅
では、なぜ神道と仏教は共存することができたのでしょうか?
その理由として挙げられるのが、神道の寛容性や柔軟性です。
古来の神道では、"八百万(やおよろず)の神々"と呼ばれるように、森羅万象すべてのものに神が宿ると信じられてきました🌍
さらに、絶対的なルールもなく、影響力を持つ教祖(開祖)がいなかったからこそ、他宗教の文化を受け入れることができたのかもしれません。
いずれにしても神社では、日本神話に記述されている神様が祀られ、古来から伝わる"祭祀(さいし)"は、現在も執り行われています。
そして神様は、人々を救う一面(ご利益)を持ち合わせ、仏教建築に影響された立派な社殿も建てられました。
日本人のルーツともいえる神話が明確にまとめられ、今なお信仰されているという文化は、世界的にみてもかなりスゴイことだと思います。
日本神話より古い歴史を持つギリシャ神話は、キリスト教の登場により排除され、過去の神様となってしまいました。
日本の神社の場合、力関係の強かった仏教と一体化できたからこそ、古神道の貴重な歴史が語り継がれているのかもしれません。
真実と正義が失われつつある今の時代。
「日本とは、日本人とは何か?」を見つめ直すためにも、歴史書だけではなく、日本神話を広く伝えていくべきではないでしょうか。